義(よし)をなしとす。



「他力には無義を義とす」
親鸞上人のお言葉を現代口語にて。

建長七歳乙卯十月三日
                    愚禿親鸞八十三歳これを書く。

いよいよ、あの世に行くというときに、自力と他力はどのように働くのですかという質問に応えて。
    三毒(貪瞋痴)煩悩

まず自力ということは、 それぞれの縁にしたがって、 仏の名号を称え、 あるいは念仏以外の善を修めて、 自身をたのみとし、 自らのはからいの心で、 身・口・意の*三業の乱れをとりつくろい、 立派に振舞って浄土に往生しようと思うことを自力というのです。
他力というのは阿弥陀仏の四十八願の中で、 選び取ってくださった第十八の念仏往生の本願を疑いなく信じることを他力というのです。
阿弥陀如来像
それは阿弥陀仏がお誓いになられたことですから、 「他力においては義のないことをもって根本の法義とする」 と、 法然上人は仰せになりました。 「義」 というのは、 はからうという言葉です。 行者のはからいは自力ですから、 「義」 というのです。 他力とは、 本願を疑いなく信じることで間違いなく往生が定まるのですから、 まったく 「義」 はないというのです。

さて「義(よし)を無しとせよ」は本年の法事で導師からの説法のテーマで「最期には阿弥陀仏を信じ、その名を唱えよ。」の意である。既に涅槃に去った故人を身近に感じ、まだ今生にいる人を既に去ったかのように感じるのも、人の心の乱れであり、計らい(義)であろうか。
750年前からでも、先人はありがたくも仏法をひろく深く息づかせ、救いの手を差し出してくれている。見えぬ未来に生きるものの先達の一端として、ありがたきお言葉を伝え紡いでいくことが、お悦びをもたらす返信にならんことを願って。

南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏

平成二十七年乙未二月二十日
愚鈍捩髭毒舌阿波勧進烏五十余歳これを授かる。
親鸞上人

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