大東亜共同宣言と奴隷解放宣言

時は1943年11月、太平洋戦線では日本軍が圧されはじめ、結束を強くせんと、中華民国、タイ王国、満州国、ビルマ、フィリピン、自由インド政府を結集した大東亜会議を開催し、大東亜共同宣言を採択し、連合軍へ対抗する諸国の戦争協力強化を目的とした。

以下本文(一部現代語訳)

そもそも世界各国がそれぞれの所を持った上で相寄り助け合って、万邦共栄の楽を共にするのは世界平和確立の根本要義である。
しかし、米英は自国の繁栄の為に、他国家他民族を抑圧し、特に大東亜に対しては飽くなき侵略搾取を行い、大東亜隷属化の野望たくましく、遂には大東亜の安定を根底より覆そうとした。大東亜戦争の原因はここにある。
大東亜各国は連携して、大東亜戦争を完遂し、大東亜を米英の束縛より解放して、その自存自衛の戦いを全うし、左の綱領に基づき、大東亜を建設し、以て世界平和の確立に寄与することを目標とする。
一、大東亜各国は協力して大東亜の安定を確保し、道義に基づく共存共栄の秩序を建設す
一、大東亜各国は相互に自主独立を尊重し、互助敦睦(*2)の実を挙げた大東亜の親和を確立す
一、大東亜各国は相互にそれぞれの伝統を尊重し、各民族の創造性を伸張し、大東亜の文化を高揚す
一、大東亜各国は互恵の下、緊密に提携し、その経済発展を図り、大東亜の繁栄を増進す
一、大東亜各国は万邦との友好を篤くし、人種差別を撤廃し、さまざまな文化を交流し合い、進んで資源を開放し、世界の発展に貢献す

きれいごとであり、英米だけを対象としたことで論理破綻があるが、正論であり、否定するのは難しい。この宣言は戦後不遇でほとんど隠されてきたともいえるが、インターネットの発達によりこうやって目にすることができる。

比してアメリカ南北戦争の奴隷解放宣言は内戦らしく、刑法として、連邦政府に反抗した市民の(つまり敵の)奴隷を開放するという刑罰であった。理想だけではなく、実行的なものとして発布したが、奴隷制を排除する決定的な法令であったことはその後の歴史が証明している。
もう一度たちかえると大東亜共同宣言の法令や制度的なものは日本の敗戦により瓦解しているが、影響は台湾の返還、朝鮮の独立を求めたカイロ宣言、その精神は、個々にそしてAPECに引き継がれて、民族自決の歴史に影響を大きく与えているといえる。

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