ルーディ と ヤンキー
ヤンキーというのは、日本では不良少年とかチンピラの意味である。大阪のアメリカ村あたりでたむろっていた不良少年達への尊称から始まっている。上の曲でわれらのストラマーさんが喧嘩をうっているのは、アメリカの白人やその社会のことである。その一説はこうだ。
Yankee dollar talk
To the dictators of the world
In fact its giving orders
An they cant afford to miss a word
”ヤンキーはドルに物言わせて世界の独裁者を牛耳る。”
とさすが強者には徹底的に手厳しい。
いつのまにか、この”ヤンキー”は日本の主に路上で珍妙な虚勢を見せてくれる男女に向けて使われるようになった、しかし一般に了見が狭く社会的には弱者に分類される。不良少年は成長しても”チョイ悪親父”となり”マイルドヤンキー”となる。
彼らはニーチェの語る”末人”像にも少しかぶる。人生の目的を見失ってる彼らを動かすのは、社会そのものや才能あるものへのねたみや嫉みである。このルサンチマンは、特定のものへの「信仰」によってゴマかされ、自分の欲望を直視する機会を失う、さらに自分というものがなく、「群れ」をつくることで、防御をかため、自分を磨く機会をも失い、個性も失う。安直な論理にとびつき、自分はお前より上等だと言い張る。こんな人間「末人」が世の中に虫のようにあふれかえるとニーチェは言った。だがそれ以外の生き方は”狂うこと”以外に残されていないと実際にかれは狂ってみせた。
狂い踊る阿波おどり文化はニーチェの求めた応えを提供している。ルサンチマン大国と成り果てた虫国や、妬みや嫉みだけでなく「恨みで立国」するというニーチェにも予想できない末人エリート国につける薬は阿波おどり文化のなかにあるかもしれない。
ルーディというのは、RudeBoyの略で、無礼で下品で荒削りな少年という意味である。ジャマイカの不良少年がスカ、レゲエ音楽ともにイギリスに伝播して使われるようになった。
The SpecialsはDandy Livingstoneのヒット曲を借りてこう歌う。
♪ふざけんなもめ事を起こすのはやめろよ!
いい加減に足を洗えよ!
自分の将来を考えてみな!♪
ルーディー♪お前達へのメッセージだ♪
これをパンクスへの攻撃と捉えたジョーストラマーさんはアンサーソングをミックに歌わせる。♪シング マイケル シング♪ Mickの軽妙な悪態につづいて、失敗を吐露する。
♪So we reply さあ返事してやろう
I know that my life make you nervous
俺の生き方があんたをイラつかせているのは十分わかったよ。
But I tell you that I can't live in service
でも俺だってサービスするために生きてるわけじゃないんだよ。
Like the doctor who was born for a purpose
目的を持って生まれてきたドクターのようにね。
Rudie can't fail
ルーディはしくじれないんだ。
I went to the market to realize my soul
俺の魂を実現しようと世に出てみたんだよ。
'Cause what I need I just don't have
必要なものをなんにももっていなかったからね。
First they curse, then they press me till I hurt
やつらは最初から悪態をつき、
それから俺が傷つくまで押さえつけたんだ。
We say Rudie can't fail
ルーディはしくじれないんだ。♪
ここにで何度でも世の中に生身でぶつかっていく姿勢と失敗できない覚悟をしめしたが、その後も強気の姿勢で失敗を繰り返した。そして35年後、ネットを巡ってて懐かしいルーディにまた会った。すっかり成虫になっていた。
コメント
コメントを投稿