煙る石炭と日本民国
春が来ると日本人は、過度なスギ植林公害+排気ガスなどの大気汚染公害+食品添加物に因む体内アレルゲン異常の複合公害汚染「スギ花粉症」に悩まされる。幸い徳島では、比較的原生林多く、渋滞・排気ガス少なく、食品添加物少ない海山の幸に恵まれ、困っている人は少ないようだ。
また花粉症より以前から「黄砂」は暖かい春風とともに、凍てついた冬を融かす「季節の便り」として、心浮かれさせる風物詩であった。黄色い砂塵に「大いなる大地」や「黄河」への憧憬や地球のスケールを感じたものだった。ところが近年、この「黄砂」とともに、より細かい公害微粒子が徳島にも届けられるようになると、春ごとにに大陸への憧憬どころか不安を抱かざるを得なくなってきた。
阿南の発電所 |
明谷梅林 |
中国の火力発電所 |
さらに黄砂とともに1980年まで行われていたゴビ砂漠の核実験により放出された放射性セシウム137が未だに日本国内で検出されている。半減期30年と比較的短期で収束するものではあるが、それでもPM2.5と比較すると長年の影響が残ることが懸念されている。一方で、現在進行形で放射能漏れを止められていないわが国の福島原発では、現在もセシウム137が広範囲に土壌と海洋への汚染侵食を続けている。一時期は反原発と廃止が基調であった「脱原発」は、昨年4月に発表された「エネルギー基本政策」で、『原子力を、「安全性の確保を大前提」に、「エネルギー需給構造の安定性に寄与する重要なベースロード電源」である。』としている。さらに先週の政権所信表明演説にて暴落した原油価格の影響はふれずに「燃料輸入の著しい増大による電気料金の上昇は、国民生活や中小・小規模事業の皆さんに大きな負担となっています。原子力規制委員会が新規制基準に適合すると認めた原発は、その科学的・技術的な判断を尊重し、再稼働を進めます。」と事故の記憶は早くも薄れてきている。もちろん収束見えぬ福島の悲壮な原発事故を踏まえて尚断腸の発表であろうが、ここに国家のエネルギー戦略のために、個人の基本的人権が抑制されることは中国同様であろうかと感じる。
明治政府が目指した天皇を元首とする国家というのは、必ずしも天皇崇拝の国にすることではなく、権威を利用して、独裁政治を行う状況を生み出そうとするものである。明治国家には、江戸時代の反動として、天皇崇拝の国家神道を奨励し、藩閥政治を容認した上で財閥の勃興をゆるし、結果的に国家を破滅の危機に陥れた重大な歴史的な失敗が含まれている。現在と同じような外国の脅威に対抗するために、明治の新体制は天皇の権威を利用して中央集権の独裁政治を行うシステムとして構築された。
現在事実として、ほとんどの有力な政治家は既に「三代目」であり、抜本的な「改革」は望んでいない。しかし中でも今の首相は生え抜きの長州閥で、副首相は戦前からの財閥の総裁だ。しかし彼らが「改革」をうたいながら、公約情報操作を繰り返し特権階級に供与する権力強化政策は、それ自体が目的ではなく、より強い国難をもたらす敵を排除するために、味方を選別しつつ進む現実路線として未来につながる手段であると信じたい。
それでも「日本書紀」は当時の中国語、「日本国憲法」の原本は英語なのだから、いまさら心配することはないのかもしれない。
コメント
コメントを投稿