煙る石炭と日本民国



春が来ると日本人は、過度なスギ植林公害+排気ガスなどの大気汚染公害+食品添加物に因む体内アレルゲン異常の複合公害汚染「スギ花粉症」に悩まされる。幸い徳島では、比較的原生林多く、渋滞・排気ガス少なく、食品添加物少ない海山の幸に恵まれ、困っている人は少ないようだ。

また花粉症より以前から「黄砂」は暖かい春風とともに、凍てついた冬を融かす「季節の便り」として、心浮かれさせる風物詩であった。黄色い砂塵に「大いなる大地」や「黄河」への憧憬や地球のスケールを感じたものだった。ところが近年、この「黄砂」とともに、より細かい公害微粒子が徳島にも届けられるようになると、春ごとにに大陸への憧憬どころか不安を抱かざるを得なくなってきた。

この「PM2.5」は主に急速な経済発展途上を遂げた中国で石炭火力発電、家庭での石炭燃焼暖房、ディーゼル排気ガスなどの原因で発生する。石炭は石油、天然ガスなどより埋蔵量が圧倒的に多く、埋蔵分布が一部の地域に偏っておらず、世界中に平均的に分布していることが特徴で中国でもわが国の協力を経て国産化している。樹木の遺体が地圧や地熱を受けて段階的に石炭化していき経年変化で品質向上し炭素純度が高まる、ピート=泥炭→褐炭→歴青炭→無煙炭となり、最終的に炭素純度90%以上となる。燃焼時の煤煙の問題から、一般に利用されているのは瀝青炭まであるが、中国では、安い褐炭が家庭用練炭や豆炭だけではなく、鉱山などの発電用にも使われており事態を深刻化させている。わが国では、採掘コストとの絡みでほとんど採掘を行っていないが、徳島・阿南の「橘湾火力発電所」などで利用している石炭は徳島県の輸入額の半分を占めるほど発電での利用は未だ盛んだったりする。
阿南の発電所
しかし、遠く北京では火力発電所の煤煙で「北京咳」に苦しめられる市民がいるが、阿南では煤煙どころか梅園での梅花のほころびに心を浮かれさせているほど、状況が異なる。
明谷梅林
発電規模と「海」に開かれた立地、高効率低公害技術や法の整備運用に大きな差がある中国でも順次古い火力発電所を切り替えていってるが、一方の阿南では余裕というわけでないが、伊方原発の停止を受けて、古い火力発電所を再稼動していたりする。

中国の火力発電所

 さらに黄砂とともに1980年まで行われていたゴビ砂漠の核実験により放出された放射性セシウム137が未だに日本国内で検出されている。半減期30年と比較的短期で収束するものではあるが、それでもPM2.5と比較すると長年の影響が残ることが懸念されている。一方で、現在進行形で放射能漏れを止められていないわが国の福島原発では、現在もセシウム137が広範囲に土壌と海洋への汚染侵食を続けている。一時期は反原発と廃止が基調であった「脱原発」は、昨年4月に発表された「エネルギー基本政策」で、『原子力を、「安全性の確保を大前提」に、「エネルギー需給構造の安定性に寄与する重要なベースロード電源」である。』としている。さらに先週の政権所信表明演説にて暴落した原油価格の影響はふれずに「燃料輸入の著しい増大による電気料金の上昇は、国民生活や中小・小規模事業の皆さんに大きな負担となっています。原子力規制委員会が新規制基準に適合すると認めた原発は、その科学的・技術的な判断を尊重し、再稼働を進めます。」と事故の記憶は早くも薄れてきている。もちろん収束見えぬ福島の悲壮な原発事故を踏まえて尚断腸の発表であろうが、ここに国家のエネルギー戦略のために、個人の基本的人権が抑制されることは中国同様であろうかと感じる。




明治維新の偉人のことばを引用して「戦後以来の大改革」を叫ぶ首相の姿は頼もしいが、満場の拍手で囲む国会議員たちの姿は、権力の集中が進んでいることを如実に感じさせ薄気味悪い。内外を取り巻く国難排除のために、強力な指導者を仰ぐことをわが国の歴史は繰り返す。しかし指導者達がみつめている未来は飾られた言葉の上にうっすらと見えるだけで、北京の空気のように曇っている。わが国には「自由な言論」があるので「自浄作用が働く」と楽観し、禁忌から目をそむけているうちに、放送禁止用語、偏向報道は容認され、ついには公共放送までも政策実行に利用されている。そしていつのまにか国家と国旗に対する忠誠の圧力が戦前レベルまで高くなっても、異論反論は異端視され、無視され、偏向され、検索できなくなり、削除され、無力化されるだろう。そしてそこには人民の漠然とした「ぼやき」だけが残る「共和国」ができることだろう。

 明治政府が目指した天皇を元首とする国家というのは、必ずしも天皇崇拝の国にすることではなく、権威を利用して、独裁政治を行う状況を生み出そうとするものである。明治国家には、江戸時代の反動として、天皇崇拝の国家神道を奨励し、藩閥政治を容認した上で財閥の勃興をゆるし、結果的に国家を破滅の危機に陥れた重大な歴史的な失敗が含まれている。現在と同じような外国の脅威に対抗するために、明治の新体制は天皇の権威を利用して中央集権の独裁政治を行うシステムとして構築された。
 現在事実として、ほとんどの有力な政治家は既に「三代目」であり、抜本的な「改革」は望んでいない。しかし中でも今の首相は生え抜きの長州閥で、副首相は戦前からの財閥の総裁だ。しかし彼らが「改革」をうたいながら、公約情報操作を繰り返し特権階級に供与する権力強化政策は、それ自体が目的ではなく、より強い国難をもたらす敵を排除するために、味方を選別しつつ進む現実路線として未来につながる手段であると信じたい。
それでも「日本書紀」は当時の中国語、「日本国憲法」の原本は英語なのだから、いまさら心配することはないのかもしれない。


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