退屈なラノベると残念なヒット曲

現実逃避したくなるゴブリンやその親玉たちの増殖と跋扈が止まらない世情を反映して、異世界で超能力を手に入れて悪者退治する。ファンタジーは世情を反映するのか?

100年くらい前にERバローズの小説は米国で大ヒット、「ターザン」で有名な小説家で冒険活劇と呼ばれる小説のジャンル。最初に書かれたのは「火星のプリンセス」のテンプレを紹介する。

南北戦争の中年退役軍人ジョンカーター、戦場を渡り歩き独身のまま、砂漠で美しく光る戦神マースの象徴に祈ると、火星の砂漠に転生。火星は重力が弱く地球人の筋力は超人的に強い。火星で遊牧生活をおこなう暴力的で巨大な体躯をもつ緑色人に囚われる。そこで同じく囚われの身である美女と出会う。美女は赤色人と呼ばれる火星の先進文明民族の王女。

そこからは、その武力と滅びゆく惑星で滅びの道を辿る文明人の希望となり、暴力に支配された殺伐とした遊牧征服民族に友情、愛情の精神を浸透させる。

「平凡人が転生、超能力持ちとなって中世西洋風の社会に転生、ヒーローとして活躍」というラノベとの違いは、筋としてはない。けれども100年前のオリジナルに優るものはなにもない。社会風刺もなければ、想像力を掻き立てられる描写もすくない、平均的な我欲を満足させるだけのものになり果ててる。

もはや誰のどんな話でも、設定、世界、人物、ストーリーに統一感があるので、読者にはシリーズものを読むような読みやすさがあるので一定の人気はある。

しかし、無料で誰でも読めるし、プロの小説を読んだことがない読者がたくさんいるであろうし、作者もおそらくプロの作品を読んでいない中で、進化したラノベサイトのランキングは見事に崩壊し、創造性のある質の高い小説は衆愚の中に埋もれてしまうことになっている。

邦楽ポップスも同様で、おそらく近代ポップスの父とも言えるビートルズからの一連の名曲や偉大なクラシックやJAZZの巨匠の音楽にも触れていない視聴者が多く、結果それらを応用した、巧妙な企業作曲家によるパクリ作曲が蔓延し、実績のある優秀なフレーズの中で真に創造的な才能は埋もれてゆく。それもルックスや販売手法などだけで音楽性を無視することで音楽のランキングの信用破壊を成し遂げショービジネス界を制覇したビジネス集団の音を聴いた無意識の被害者たちを狙ったあらたなビジネスといえるかもしれない。あれに比べりゃ優秀な音楽を書くのは楽でしょうね。

残念なのは欧米では新人音楽家はYoutuberから、恣意的なプロモーションを経ずに出世してゆくようになっているので、若い才能がどんどん進出し、近年の洋楽、邦楽の音楽性の差は広まる一方である。

しかもこのような感覚をもつこと自体は社会不適合性などという言葉で社会病とされる。

退屈さは無意識の絶望から生まれているんだから、こうゆうことにもっと真摯に向き合っていけば良いのに、エゴ以外から出てくる言葉は困惑と疑惑を生み出し、退屈さを加速させていっている。

エゴだけで動くゴブリンとゴブリンたちを餌とするオークの世界、彼らにかかった呪いをとく魔法の研究には退屈さは感じない。

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