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Rock the Casbah バックグラウンド

バイクとロックという痛ましく香ばしい不良ネタに見せかけた時事ネタを。。 インスト版のRock the Casbah  1982年、32年前、TheClashは受験が終わり一息ついた私を誘うように、世界にけんかを売っていた。  直観主義(wの私は、JoeStrummerが芸名であることも、John Lennonの大ファンであることもしらず、前年の悲劇の影響などは考えもしなかった。発売と同時に購入したLPアルバム 「CombatRock」は、前作でレゲェとDubbの深い世界に放り込まれた混乱した少年も納得のかっこよさで、毎日毎日繰り返し聞いていた。  その「CombatRock」からMTVなどでOnAirされていたのが、「Rock the Casbah」である。作詞とギター演奏、歌唱以外のすべてを行ったTopperHeadonは、ほぼ発売と同時にバンドをクビになり、これがTheClashもまた同時に命脈を絶っていたとは当時は誰も惟ってもみなかった。 この曲に載せたStrummerの怒りに満ちたメッセージは、その声と歌詞で確認できる。英国の外交官の息子として生まれ、若年時代に反体制運動に入った兄を自殺により失った彼の徹底したシニカルな歌詞により、このノリノリの調子の曲は、無理解なヤンキーが異教徒を攻撃するテーマソングになり亡き人の後悔の涙をさそったという。合掌。

阿波の神社 一ノ宮と総社メモ

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 徳島に来て神社を回るうちに混乱したのは、一ノ宮はどれか?ということである。一ノ宮とは社格の高い神社ということで、それらしい候補がたくさんある。 ウィキペディアの一宮 の項を見ると4つも候補が載っているのは、日本でもここ阿波だけである。。  神山の「 上一宮大粟神社 」、国府の「 八倉比売神社 」、上八万の「一宮神社」は 論社 であり、いずれも 大宜都比売 を主祭神とする。  大麻山の「 大麻比古神社 」オオアサハンも、 忌部氏 由来の古い神社であるが、 細川氏 の庇護の下に室町時代から近世にかけて一ノ宮として信仰されるようになった。 主祭神は猿田彦神でいまでも境内で猿を見かけることがある。 四国八十八ヶ所巡りの一番札所の 霊山寺 はこの神社を管理するお寺として、平安時代に立てられた。 余談になるが、市内富田にある「 大麻比古神社 」は江戸期の創建で、オオマヒコと発音し、直接の関係はないとされている。  四国一ノ宮とされる明神大社の忌部神社は、 貞光 、 山川 、 二軒屋 にそれぞれ存在する。   総社 はやはり国府町に二つある。観音寺「 八幡総社両神社 」と府中「 大御和神社 」。  さらに 阿波神社 というのが大麻山の南東にある。これは後鳥羽上皇の皇子である 土御門天皇 が自ら遷座された後、崩御された地を祭っての昭和になっての命名である。

建日向日豊久士比泥別の謎②

  この「神に関する古語の研究」は平成12年の本である。 高揚感のある古色蒼然とした文章を浅学の身で解説などとかいてしまったが、文体は昭和12年とか大正12年の間違いではとも思えるほど古めかしい。 著者 林兼明 略歴   明治 31年4月、大分県宇佐郡安心院(アジム) 町で、宇佐八幡宮の旧社家の長男として生まれる。国学への志を立て、青年に至る迄に記紀万葉の古典を読破し、独学で古語の言霊語源を科学的に探求し、生涯に2 万枚の論稿を書き上げる。その視野は世界的立場で、研究は哲学的意味の解明を重視した学風であった。又、日本人の生命観と世界観を哲学的に揚棄し、「生命史観」として樹立した。  戦前の神道系の学者は、民族高揚をもとめるあまり、極論に走るオカルトっぽい人もおおいが、この人もおそらく異端オカルト扱いなのだろう。 建日向日豊久士比泥別 肥国は日の国でそこから 建て別けたのが 日向→日向国 日 →熊曽国 豊 →豊国 久士→筑紫国 比泥別 → 日根別→日の根本→日の本となる国号は、より始まったと。  阿蘇馬門石の石棺が畿内の古墳より見つかるという話にも符合する。  ではなぜ、国づくりは淡路→四国→九州であったのか? 淡路は阿波路ではないのか?謎は深まるばかりである。

建日向日豊久士比泥別の謎①

「林兼明 神に関する古語の研究」 最終章より,以下の著述を発見した。 とりあえず、そのまま書いておく。解説は後日。 日本民族が天日を仰望讃歎して東遷運動を起してより最先第一に逢着せる憧纉の瑞島は即ち筑紫の島なりき、 故れこの島をその理想によりて 「日の国」 と名づけたり。 筑紫国、 豊国、 熊曾国等は後世その「日の国」の別称又は地方的特称として追補せられたるものなり。然して「肥国」は原語のま、に正しくその遺影を伝えたるものなり。  この筑紫の四面の名の等しく 「日の国」 なる同一根源より出でしとは、 古事記に明記せる右の別名即ち白日別、豊日別、建日向日豊久士比泥別、建日別の名によりて確証せらるるものなり。 なほこの別名中「肥国を建日向日豊久士比泥別と謂ふ」とある古事記の原文に何等かの錯簡あるが如く論ずる学者あれども、そは然か論ずる学者の頭脳に錯誤あるなり。茲に 「肥国」を挙げて別に「日向国」を挙げざるは、両国共にその本は「日の国」にあり、「肥」の字は単に「日」の意を表はす為の借字たるのみなるが故なり、即ち曰向を脱落せるにあらず「日向」と「日の国」と全く同一同義同一境域なるが為なり。  抑も筑紫といひ、豊といひ、曾といふ、その始めは何れも別に地方区画を指ずの名にあらず、単に「日の国」、即ち「肥の国」の形容修飾の語たりしなり。然るに後世、 国郡制置の頃に及び、便宜上その形容修飾の語を分ちてその小区画の名に借りたるのみ。然れどもその原義の消滅泯亡せざらんが為に、懇篤にも古事記には白日別以下の別名を附して曩始の大本を顕示したるなり。 このうち「建曰向日豊久士比泥別」の名は「建日 向日 豊奇曰 根別」の義にして 「等しく天日により天日を以て国を称ヘたる中にも、この 「肥の国」 はその名の基づく根本を示国名なるぞ」と云へるなり。 かくて後ち、この「日の国」のうち東面直ちに旭日に向ふ反面を割きて「日向国」と称ヘ別け、筑紫、豊、熊曾等を次々に宣り別けたるなるベし。 但しこの日向国は「日の国」と一身同体同義なるより、時に「日の国」 即ち上古の筑紫洲の総名にも用ひられたること多かるベし、乃ち古事記神代巻の 「筑紫日向の橘の小門の阿波岐原」 ゃ 「筑紫日向髙千穂の久士布流多気」 等のH,何は 九州の総名なるベく、 またこの場合の筑紫は恰も日向の修飾語の如き用を成せり。 (筑

阿波と肥国

以下は古事記の国産みの段である。 此の島は、身一つにして面四つ有り。面毎に名有り。故、伊予国は愛比売と謂ひ、讃岐国は飯依比古と謂ひ、粟国は大宜都比売と謂ひ、土佐国は建依別と謂ふ。次に隠伎之三子島を生みき。亦の名は天之忍許呂別。次に筑紫島を生みき。此の島も亦、身一つにして面四つ有り。面毎に名有り。故、筑紫国は白日別と謂ひ、豊国は豊日別と謂ひ、肥国は建日向日豊久士比泥別と謂ひ、熊曽国は建日別と謂ふ。次に伊伎島を生みき。亦の名は天比登都柱と謂ふ。次に津島を生みき。亦の名を天之狭手依比売と謂ふ。次に佐渡島を生みき。次に大倭豊秋津島を生みき。亦の名は天御虚空豊秋津根別と謂ふ。故、此の八島を先に生めるに因りて、大八島国と謂ふ。 伊予之二名島⇒四国      愛比売⇒伊予国      飯依比古⇒讃岐国       大宜都比売⇒阿波国      建依別⇒土佐国 隠伎之三子島⇒隠岐島 (別名は天之忍許呂別) 筑紫島⇒九州      白日別⇒筑紫国      豊日別⇒豊国      建日向日豊久士比泥別⇒肥国      建日別⇒熊曽国 伊伎島⇒壱岐島 (別名は天比登都柱) 津島⇒対馬 (別名は天之狭手依比売) 佐度島⇒佐渡島 大倭豊秋津島 ⇒本州(別名は天御虚空豊秋津根別) こうやってみると阿波と肥国には特徴のある名前がつけられている。 そして現代と比較しても四国ははっきりとしているのに、九州はなぞめいて、本州はひとまとめということに戸惑いを覚える。 大宜都比売  オオゲツヒメは豊受比売と同一神とされで伊勢外宮の主祭神である。 建日向日豊久士比泥別⇒肥国 肥国とは、肥前、肥後に別れる前の有明海(干潟)を中心とした地域であり、現在の熊本、佐賀、長崎の三県である。 筑紫国→筑前筑後→おおよそ福岡県は当時、雪、霜が多かったということか?白日別は日の国から、雪霜の多いところを別けた。 豊国→豊前、豊後→おおよそ大分県瀬戸内海沿岸は台与(卑弥呼の娘)に与えた?豊かな土地、日の国からわけた。 熊曽国は残りの日向、薩摩、大隅? そして謎の 「 建日向日豊久士比泥別」 いろいろな文献をあたるが納得のいく説明はない。古事記の研究自体が本居宣長の時代までなされておらず、ここの語感は失われているらしい。

徳島の神様

大宜都比売 五穀豊穣の神である。  古事記では、 素戔嗚尊( スサノヲ)に食料を提供したが、糞食を疑われて、殺害、死体から五穀の種が生じた。 日本書紀からも拾うとスサノヲの行動は以下になる。  スサノヲは母の死を受け入れられずに、仕事もせず、泣いてばかりいたので、父親から叱責を受けて、 1,母のいる国(死国)へ行くと宣言する。 2,その前に姉に挨拶といって高天原へいくが姉に警戒されるも、 誓約にて、姉の持ち物から5人の男性神をうみ、調子に乗る。 3,糞を撒き散らしたり、機織女のホトを突いて殺す→姉岩戸にこもる。 4,さらに 追放され、 大宜都比売(別の姉)に食べ物をもらうが、さらに要求した彼に答えるべく、尻の穴から食事を出しているところを覗き見て、怒り殺す。 5,新羅のソシモリに追放されたが、こんなところに居たくないと出雲へ。 6,出雲の斐之川にてヤマタオロチ退治して、櫛名田とめでたし、めでたし。 4と5のエピソードは同時には記されていない。 は、アマテラス=オオゲツヒメ=卑弥呼という説もある。

あわわ!イスラム国の標的に?

テロの危機を首都からそらすために立ち上がった徳島に予想できる展開。 1,「徳島あわおどり空港」で飛行機の阿波踊りをさせられる。 2,「お接待」のつもりで、ミニ「イスラム八十八箇所参り」を作って、 さらに顰蹙を買う。 3,『vs東京』ならぬ『vsISIS』宣言してしまう。

政治環境

阿波の国は食べ物が豊富で上方との交通の便に優れた上国であった。 足利将軍の管領である細川家家宰である三好氏は中央に進出し。 「戦国最初の天下人」とも呼ばれる。 現在の県知事氏は大阪出身→東大法学部→旧自治省キャリア出身で徳島出向中に、 50年ぶりに誕生した革新系知事のリコールを受けて、人材不足保守王国が立した 「軽い御輿」であったが、二選,三選を重ねた。中央から左遷されたエリートでも徳島にくれば、 このとおり。悪代官顔は女性受けはわるそうだが、実績を積み重ねてきている優秀な代官様である。 この地の政治家では、民主党政権下の「陰の宰相」といわれた仙石氏がいる、真の実力者は決して 表に出ないという知恵は風土に息づいている。   東京風ですでに負けているコンテンツ  vs東京の諸コンテンツの違和感はここにもある。東京風の劣化したコンテンツで東京に戦いを挑む。 日本の劣化した姿を示しながら戦いを挑む某国の姿と重ねると悲しくなるが、 戦後の賠償金狙いなどではなく、出落ちを狙った見事な作戦であると思いたい。  負けのない勝負は屁たれの遠吠え  隠蔽体質の打破が活力の源泉。

出落ちと自虐

 「徳島は何にもないですよ」  「こんななんにもない徳島へようこそ」 徳島人のほとんどがこう応える。  川、道、山の美しさはこの謙虚な人々によって作られ保たれている。相手に自分を立ててもらうとか、相手に下げた表現を使わせない事を狙った、下手なアピールより遥かに高度な自虐なのである。  「飛行機は阿波踊り禁止です」。 徳島空の玄関口「徳島阿波おどり空港」 である。関西方面からの客以外はほとんどここを通る。一年中練習を重ね、一部はほとんどプロ化して、世界中に発信している世界一の盆踊りは、飛行機を安全に離着陸させるべき空港の名には向いていない。しかもやはり、お盆の3日間が最高であり、一年中変わらず稼動する交通インフラのネーミングとしてはほほえましい疑問がのこる。「徳島空港では飛行機も阿波おどり」なんてニュースは見たくない。実際は晴天率高いし、市内から近い優秀な空港であることを書いておく。

早めに「無条件降伏」か「勝利宣言」を!

http://www.vs-tokyo.jp/ 転居先が、転居元に宣戦布告した。 アンチテーゼをたて、それを解決していくことにより、育成を目指すなら、粘り強く行う必要がある。 首都様にかみ合わない対立軸を出すことは、外からの注目を喚起する以上に、内部県民に自信をもってほしいという願いがこめられているようだ。その分、コンセプトに触れた人に拡がる違和感と混乱、その結果として、効果の薄さが残念だ。  「出落ち」で充分である。東京の足元には田舎がある。地球を相手にするのは東京で、東京が安心して外国と対応するために田舎がある。その田舎の代表に徳島はなりたいのだ。