産業界の「単純化へのベクトル」と自動車立国日本の現状
産業界の「単純化へのベクトル」と自動車立国日本の現状:トヨタが牽引する利便性の追求が置き去りにするもの
産業界は常に、利便性と効率性を追求する中で、社会を特定の方向へと導く「単純化へのベクトル」を強く持っています。このベクトルによって生み出される道具類は、私たちの生活を劇的に変化させるだけでなく、社会構造そのものを規定していきます。特に、自動車立国として発展してきたトヨタの戦略は、この産業界の特性がもたらした光と影を色濃く反映していると言えるでしょう。
「模倣」と「販売力」に支えられたトヨタの成長戦略
ご提示いただいた文章は、トヨタの発展の裏側にある、皮肉めいた本音と戦略を垣間見せてくれます。
初期段階において、トヨタは海外の「誰もが認め尊敬を集める業界の権威」、具体的にはメルセデス・ベンツ W201(190E)のデザインを「丸パクッタ上でちょっと自分達のよさを加えて出し」、それを「先進的」と称したプログレのような車種を投入しました。これは、未熟な段階においては「かわいげあるよね」と許容され、そこから多くを学んだという「勉強になった」という認識があったようです。しかし、本質的な理解が不足していたため、海外では評価されず、悔しい思いもしたと語られています。
国内市場においては、より露骨な模倣が成功を収めました。ホンダのストリームが切り拓いた低床ミニバン市場に対し、トヨタは「『全部ぱくれ』と無茶振り役員命令出して、忠実にほぼできて勉強になったんだけど、低床設計だけはまねできなくて悔しかったぁ」と語るように、ウィッシュを投入しました。徹底した模倣による品質向上とコスト競争力は、ホンダの先行モデルを追撃し、「意志」という、ある種トヨタらしからぬネーミングにもかかわらず、オリジナルを凌駕する販売台数を記録しました。これは、「ポリシーは販売台数!」と言い放つ強力な販売力こそが、トヨタの最大の強みであったことを示しています。
「ギブ&テイク」の名のもとに進む業界再編と画一化
海外で「ダウンサイジング+エコブーム」が起きると、トヨタは自社で培ってきた技術やコンセプトだけでなく、「配下の軽自動車屋(ダイハツ)の力作を騙し取って、いろいろと手を返し品を変えて売り切った」というエピソードは、市場の変化に合わせた柔軟な製品展開と、その裏にある系列内の支配構造を如実に物語っています。
ダイハツ・ストーリアとトヨタ・アイゴーの比較データは、この実態を客観的に裏付けています。サイズ、エンジン形式、ボア×ストローク、ボアピッチ、駆動方式など、極めて類似したスペックを持つ両車は、軽自動車メーカー(ダイハツ)の技術が、トヨタの海外戦略に転用されたことを示唆しています。特に、KR-DEエンジンが「インターナショナルエンジンオブザイヤー」を連続受賞していることは、その技術力の高さの証でしょう。
同時に、「商売下手な軽自動車屋のほうは着々子会社化したから、新規の普通車はなくなっちゃったけど、ギブ&テイクだからね」という発言は、資本関係を通じた業界再編と、その結果として多様な技術や製品の選択肢が失われていく現状を告発しています。トヨタが持つ「販売力」と「資本力」によって、本来多様なコンセプトを持っていたはずの「普通車」が市場から姿を消し、画一的な供給体制が敷かれていく過程が描かれているのです。
利便性の追求が行き着く先:社会構造の規定と「工場を回す」論理
文章の後半には、産業界、特にトヨタが持つ「単純化へのベクトル」が、いかに社会構造を規定し、人々の生活からメタな潜在要素を置き去りにしているかという、より本質的な問題提起が込められています。
1. 知財戦略と「ハイブリッド特許の一部無償開放」: 「パクリに厳しいから、オリジナルも出し始めたよ。パクラレルのは絶対許せないから、ハニトラ損害賠償を狙った仕込みも万全だしね。もう隙はみせないよ。」という発言は、かつての模倣戦略から一転し、知財戦略における支配的な地位の確立に力を入れていることを示唆します。 この文脈で、後に明らかになったハイブリッド特許の一部無償開放は、非常に象徴的です。一見すると業界への貢献に見えますが、これは他社がトヨタの技術基準に則って開発せざるを得ない状況を作り出し、結果としてトヨタが部品供給や技術指導を通じて、サプライチェーン全体を掌握し、「工場を回す」ための戦略的な布石であったとも解釈できます。技術の拡散と同時に、トヨタの「規格」が業界標準となることで、市場の画一化を促す側面も持っていると言えるでしょう。
2. 税金、保険料を通じた市場操作: 「古い車はどんどん税金あげてもらうようにしてますし、保険料も高くしてもらいます。」という発言は、新車メーカーが行政や保険業界と連携し、自社に有利な市場環境を作り出していることを示唆します。
- 自動車税(種別割): 例えば、日本では新規登録から13年(ガソリン車・LPG車)または18年(ディーゼル車)が経過すると、自動車税が約15%重課されます。電気自動車やハイブリッド車は対象外となることが多く、これは新車の、特にエコカーへの買い替えを促すインセンティブとして機能しています。
- 自動車重量税: 同様に、新規登録から13年、18年経過で税額が段階的に上がります。これも古い車の維持コストを上げ、新車への買い替えを誘導する仕組みです。
- 自動車保険料: 保険会社は車の型式や年式によってリスクを評価するため、古い車は修理費用が高騰したり、安全装備が不足しているとみなされたりすることで、保険料が割高になる傾向があります。これは、消費者が新しい車、特に安全装備が充実した車を選ぶ要因となります。 これらの制度は、一見すると環境負荷の低減や安全性の向上といった公共的目的のために見えますが、その実、新車販売を促進し、「工場を回す」ための強力な後押しとなっているのです。
3. ディーラー・整備売上への姿勢と「顧客データの一元管理」: 「ディーラーもいじめますよ。まず顧客リストは召し上げたし、整備は儲かるから、GTSばら撒いてじわじわと生殺しさせてもらいまーす。」という発言は、顧客データの一元管理という名目で、ディーラーの独立性を奪い、メーカーへの依存度を高める姿勢を露骨に示しています。顧客リストの召し上げは、ディーラーが培ってきた顧客基盤をメーカーが直接管理下に置くことを意味し、GTS(General Toyota System / Toyota Global Service)の提供は、整備情報をメーカーが独占することで、ディーラーがメーカー指定の部品や手順でしか修理できない状況を作り出し、利益構造をメーカー側に有利に誘導している実態を表しています。
さらに、「整備のできない、交換前提な車を作る方向に進む」という点は、製品設計そのものが、長期的な修理や部品交換ではなく、ユニットごとの「交換」を前提とする、つまりは**「使い捨て」に近い思想へと向かっていることを示唆しています。これは、製品のライフサイクルを通じてメーカーが利益を最大化し、常に新車購入を促す「工場を回す」ための戦略であり、資源の有効活用や、消費者が長く愛着を持って道具を使うという「メタな潜在要素」を置き去り**にしています。
「工場を回す」論理が崩す社会のバランス
「生産技術」と「販売技術」を最大の強みとし、技術開発よりも「法律を開発」することに注力するトヨタの姿勢は、製造業の究極の目的が**「工場を回す」ことにあるという、ある種の強迫観念**を示しています。この目的のために、自らの力を全方向に発揮してしまう結果、自動車が「走る」社会自体のバランスを崩す方向へと近づいてゆくという、深刻な問題が浮かび上がってきます。
- 多様性の喪失と画一化: 「マイルドヤンキー万歳!」という発言が象徴するように、ターゲット層を絞り込み、大量生産・大量消費に適した画一的な製品を供給することで、消費者の選択肢を狭め、人々のライフスタイルまでをも特定の方向に誘導しています。
- 公共交通機関の衰退: 「鉄道会社買収して廃線にして車の売り上げ増を謀るとかは、GM先輩がやりすぎて顰縮だから控えます」という言葉の裏には、過去の歴史を踏まえつつも、公共交通よりも自動車への依存度を高めることで自社の利益を追求するという、産業界の基本的な論理が透けて見えます。これにより、地域社会の交通インフラのバランスが崩れ、自動車を持たない人々が置き去りにされる問題が生じます。
- 環境と資源への配慮の欠如: 「交換前提」の製品設計や、古い車への重課は、資源の無駄遣いや廃棄物増加に繋がりかねません。短期的な経済合理性が、長期的な環境持続性というより大きな社会的な価値を損なっています。
- 「快適だけど走るのは苦手」な車の普及: 「快適ですよ!走るのは相変わらず苦手ですけど、『車』ってそんなもんでしょ。」という自嘲めいた言葉は、車が本来持っていた**「運転する喜び」や「移動そのものの体験」**といった、**五感に訴えかける「感覚の豊かさ」**が、単なる「便利な箱」へと単純化されてしまった現状を示しています。
アインシュタインが警鐘を鳴らした「それを創り出した時と同じ考え方では解決できない」という状況は、まさにこの自動車産業の現状に当てはまるでしょう。「工場を回す」という論理が、社会全体のバランスや、人々の**「感覚の復活」、そして多様な価値観**を置き去りにしているのです。私たちは、このような産業のベクトルがもたらす影響を深く認識し、単なる利便性や効率性だけではない、真の豊かさを追求する社会へと舵を切る必要があるのではないでしょうか。
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