亡国に紡がれる言葉

隣国の韓国への軽薄な論調はひどい。

「近年分不相応な待遇を受け自己を見失った。」
「日本や米国に甘やかされて成長したが、かの民族はその準備ができていなかった。」
「過去を否定することで否定的な過去を持つ運命になった民族社会は急激な生活の変化と国際化を充分に咀嚼できないまま衰退への道を。」
「「中華帝国の影の存在として、尊敬できぬ主君を抱え続け、民を虐げ、不幸の歴史をつないできた民族社会は独自の価値観を創造できず自壊し続ける。」
etc.

 しかしこのような現実認識を論じているだけでは、問題は解決しない。もちろん自分たち自身の問題であるし、国際社会においては隣国の問題である以上、もっと責任が伴うのは自明である。幸せは力であり、民を幸せにしない国家は滅びる。不幸な民を負債と捉える国家は栄える。韓国の崩壊は北朝鮮の役割を変化させている、最近いつも不満顔の韓国に対して朝鮮金王朝の民は意外と幸せそうに映る。

 幸福を分かち合い、さらに子孫の幸福を形成していこうとする社会は不幸な歴史を消すだけではなく、おそらく集団で幸福を手に入れた体験が必要なのであろう。これを文化人類学史的に証明する貴重な実例として、国家やメディアによる情報統制、言語政策、文化規制などに潜在するリスクを露呈するものであり、進行中のすべての半島の事例は将来への警告であり、これはたいへんな教訓といえる。民族が自らの力で指導体制を形成し、確率する事に価値があるし、手助けも余計なお世話になることもある。

日本においても、全面的な対外戦での大敗というは唐との白村江の戦いと米との太平洋戦争の二回あるが、白村江の戦い後に成立した漢文の日本書紀に対して、改ざんされてしまっていても併挙できる価値のある古事記を残し、万世一系の真実の歴史にせまる機会を持ち続けた日本なら、今話題のWGIPくらいでは、それほど大きな傷とはならなかったに違いない。傷は新しく、世界は一気に広がり、民族の道に戻る行程はなお遠くみえるが、膨大な民族の歴史経験は自分たちの本道にもどる手助けをしてくれる。現実には、今の日本は世界中の民から愛され、リーダーとして期待されている状況になっても敗戦の不名誉を忘れることができないままではある。敗戦を素直に認めることであらたな関係を築いていくことができるが、ナショナリズムの勃興はともすると、敗戦をみとめず、米国の衰退をえさに日本の繁栄を最終勝者として捉えがちになる。

厳然として、米軍は日本全体をカバーする基地網を保持したままで、日本はいまだに間接統治されている状態をみとめ、米国と現実世界での友人としていかに付き合うかという国家感をもって論じる必要がある。この現実を民族としての歴史観で直視できれば、日本の将来はより明るくなるはずだ。

DNA操作等と同様に、未知の世界系への人為的な行為は常に発展とリスクの表裏関係にある。
大陸中国は簡体字を導入したまま開放したことで、さらに民族精神のより一層の退化を加速し、一方で、繁体字の台湾は中華民族の歴史を色濃く残す国柄を保持した。自らの過去の否定は、つまり自己否定であり、ルーツを忘れることは先祖の教訓をも忘れることに繋がる。
中世に半島に割拠したモンゴル軍閥の政権がもちこんだハングルを日本統治下で一般に普及し、その勢いで、戦後自らの選択でより関係の深い大陸由来の漢字を否定してしまうというのは、民族的な自傷行為であることはいうまでもない。
言語は思考ツールとして人類にあたえられ、経験を積み、語彙を増やしてきたのだから、先祖の教訓は言語の中に生きている。

ベトナム語はおおまかに言うと中国語の方言でもあり、表記文字は本来漢字である。
これをほぼフランス語表記することで現代ベトナム語は成立している。ベトナム人が日本語を勉強する際には、ベトナム語の元の漢字を学習するという。
思い出せないとおもえる過去はどこかで紡がれている。

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