建日向日豊久士比泥別の謎③

大化の改新前後に書き換えられ隠された歴史の旅のキーワード。

4年ほど前の記事ではあるけど、リンクを張っていただいてアクセスが増えた。
https://artworks-inter.net/ebook/?p=3721
こちらを拝見して、この4年間で考察を進めたものの書くに至らなかったことを改めて文字に起こして書いてみようと思う。

最初に現在の結論
1,九州の島をチクシ、そこにあった国を「日」の国とよんだ。
2,そうしての「日」から「別」れたのがそれぞれ、白日別、豊日別、建日別である。
3,残る「建日向日豊久士比泥別」こそが別けられた元の国となる。

 建日向ー日ー豊ー久士比ー泥ー別

  • 「建日向」は勇猛な人に与える尊称 ※日本書紀:垂仁天皇五年
  •      狭穂彦王の乱を鎮圧した将軍に「倭日向武日向彦八綱田」称号付与
  • 「日」九州の国名
  • 「豊」豊かなという尊称
  • 「久士比」尊い霊。上位にある霊。
  • 「泥」禰・みたまや 父祖の霊を祀った所 根とも、有明の泥とも
  • 「別」地方名「県」のようなものここでは「国」
「勇猛な日であり豊かな尊い先祖の眠る土地である国」

白日別、豊日別、建日別はそれぞれ
白日別
   疑いようもなくはっきりとそのまま日である国
豊日別
   豊かな日の国
建日別
   勇猛な日の国 「日向」という尊称がつかないし、根の国でもない。

肥前肥後の分断について(肥前肥後の境目は筑後川であること)
  肥前肥後の間に筑後地方が挟まっていることについての疑問
  • 縄文海進などの状況から筑後における土地形成は遅れており肥前肥後はそれ以前から海を隔てた海上交通がメインだった。日本随一の穏やかな海。
  • 肥の国は最初から海を中心としており、「土地の分断」とみる現代的な視点とは折り合わない。有明海を中心として火国があった。
  • 火の中心部が筑紫となり火より独立。
なぜ「肥」なのか?
  • 火国より肥前肥後に改名 好字二文字を国名にする(和銅6年)
  • 上代仮名遣いでは干=火=肥で読みは同じ。(日は氷などとおなじで別)
  • 古代には火より肥のほうが好い字であった。
日の本の国との関係は
  • 火=肥であり日ではない。
  • 日はあくまでも九州全体を指す。
九州を筑紫島の「日」ヒ とすると、
四国は伊予島の「依」エ

愛比売 依の女神(母系の祖)依の女性尊称として愛
飯依比古 いいエひこ 食の豊かな依の男神
大宜都比売 食の女神とされる
建依別 勇猛な依の国

阿波の女神だけが依(エ)とは関係ないことになる。
阿波は粟の好字とされているが、阿の文字には「おもねる、よりかかる」の意がある。
これは「依りかかる」と依存関係などを示すところで、意としては依と関係が見い出せる。
残りのワは倭ではないだろうか?
そうなると阿は依との同義関係よりは一時期倭の亜種とか阿る属領的な位置づけであったとかかもしれない。
つまり倭の分国的な位置づけであって依とは少し違ってたと。

ここで、同じ国産みの記述から倭を探してみると
本州は大倭豊秋津島(おほやまととよあきつしま)大も豊も秋津も尊称
大いなる倭の豊かな実り深い島
別名は天御虚空豊秋津根別
天皇がおわします豊かな倭の根本の国

ここで根が使われているので、火国には泥をかぶせて伏せた形になったのか。
伊予島の依の国より阿波の地域は早くから倭の勢力圏であったのか。

国産みの神名から、倭国、日の本などの系譜を連想するのは思いの外楽しい。

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